マウンテン・ゴリラのカーライフ

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ノート <日産車は格が違う>

 

Bセグが面白い

 

2022年で日産マーチと三菱ミラージュの日本向け販売(タイ生産)が終了し、共謀する両社のBセグ戦略は節目を迎えている。ルノー日産三菱のアライアンスは、欧州市場の覇権を唱え、Bセグに関してはルノー主導の供給補完体制が構築されつつある。欧州向けRVRだった三菱「ASX」が、CセグからBセグに変わり、ルノー・キャプチャー・ベースのものに置き換わっている。同じくルノー・ルーテシア(クリオ)のOEMでコルトが欧州市場に投入されると発表されている。

 

現在は岡山県の水島工場で生産されているRVRの後継は、日本市場でもルノー設計のBセグSUVとなるのだろうか?生産工場は岡山?タイ?などなどいろいろ気になるが、環境性能が高い小型車のニーズは日本でも東南アジアでも続くだろうし、電動化による付加価値化で、日本生産のハードルも「もはやBセグは日本では作れない!!」とか言われていた10年前よりもだいぶ下がったのではないだろうか。

 

 

 

技術革新の現場

 

日本メーカーにとってBセグのハッチバックの生産&販売は最も難しいジャンルである。ある程度はディーラーで客が囲いこめているCセグミニバンだったり、最も多くのメーカーが参入しているCセグSUVは、多少は楽観的だと思う。「Bセグ=小型車」という枠内でのプライシングが強いられる中で、どれだけの革新的なアイディアが出せるだろうか。もはや真面目に考えれるだけで頭が爆発しそうだ。MAZDAも欧州市場向けMAZDA2をOEMに切り替えた。もう無理・・・ という判断なのだろう。

 

とっくに全滅していてもおかしくない日本向け「Bセグハッチバック」だけど、2011年の初代アクアと2016年のノートe-POWER(2代目ノートに追加設定)が登場し、この両車の大成功によって、なんとか踏みとどまっている。フィットとMAZDA2もちょっとマニアックではあるけども、それぞれe:HEVとディーゼルという飛び道具で日本市場における主力モデルの座を維持している。4つの陣営ともに「利益」よりは「独自技術のPRの場」として、Bセグの重要性を認識しているようだ。

 

 

 

古(いにしえ)のBセグ

 

アコードやCX-60のようにドイツの高級車相手にマウントを取りに行くようなハイスペックモデルもいいけど、クルマ好き・メーカー好きにとっては「Bセグハッチバック」が息を吹き返し、かなり面白いことになっていると思う。Bセグの起源はちょっとわかりづらいが、トヨタだとCセグのカローラ(1966〜)とBセグのパブリカ(1961〜)が既に60年代に成立している。これに対して日産はCセグのサニー(1966~)とBセグのチェリー(1970〜)が設定された。

 

チェリーは1978年にパルサーに代わりCセグに昇格する。1982年には新しいBセグにマーチが登場し、1974年の初代ゴルフで成功したデザイナー(ジウジアーロ)を使い、欧州でウケるデザインを追求(模倣)した。ゴルフ&マーチのジウジアーロデザインのベースは、1973年のルノー・サンクにあると思われる。1978年の2代目スターレットや、1980年には東洋工業(MAZDA)の5代目ファミリアの突き抜けたヒットもあって日本市場に「ハッチバック」が定着した。

 

 

 

21世紀型Bセグ(平成Bセグ)

 

バブル期に突入し、乗用車のサイズがどんどん大きくなり豪華になっていくと、スターレットカローラ2は低価格の3ドア専用車となる。新社会人の入門車はあくまでカローラであり、ヒエラルキーを上がっていき「いつかはクラウン」という王道のカーライフからは切り離された地味な存在として置かれた。しかしバブルが弾けリストラ&就職氷河期となると、経済的に無理をしない「ダウンサイジング」がトレンドになり、5ドアハッチバックのBセグに1Lエンジンを搭載した「リッターカー」が売れた。

 

1998年に先陣を切って登場したダイハツ・ブーンは、発売と同時にOEMトヨタ系列でも販売される(現在のパッソ)。1999年にスターレットヴィッツに変わり5ドアハッチバックになった。学生時代に鹿児島の僻地に1ヶ月滞在したことがあり、レンタカーでこの初代ヴィッツを使っていた。クルマの楽しさを存分に教えてくれたという意味で「初代ヴィッツ」と「初代カローラランクス」は名車だと思っている。2000年にスイフトが登場。さらに2001年にはファミリーカーとしてやる気満々の初代ホンダ・フィットが登場し、「小型車としての」シビックは日本から抹殺された。

 

 

 

3気筒化の是非

 

2002年に三菱コルトが登場。2005年には初代ノートが発売される。既にマーチでリッターカー需要に応える中で、1.5LクラスのBセグとしてヴィッツやフィットの上級グレードに対抗し、マーチの弱点を補完する意味合いが強かった。初代&2代目はショートワゴンとしてユーティリティをアピールしていたMAZDAデミオが、2007年に3代目となり王道ハッチバックに路線変更した。前田育男デザインも炸裂しMAZDA車初のWCOTYを受賞した。

 

2000年前後の「リッターカー」ブームでは、最初に登場したダイハツ・ブーンが1Lの直3を採用した。トヨタが作るヴィッツは初代こそ全て直4だったが、2代目(2005年)からダイハツ製の1Lの直3が採用され、現行のヤリスにも引き継がれている。この1KR-FEエンジンは、ダイハツ&プロドア陣営の東南アジア市場での快進撃の原動力となった「名機」だ。過酷な気候と右ハンドル国が多いので欧州車の進出を阻まれるASEAN市場でヘビーに使っても壊れない。

 

 

 

紆余曲折

 

バイクメーカーでもあるホンダやスズキにとって「フォア(4気筒)」はホームグランドであり、わざわざ3気筒化する理由はないらしい(もちろん軽自動車用エンジンは3気筒だけど)。MAZDAも4気筒を維持した。MAZDAの人見さんが小排気量エンジンのデメリットを主張して、トヨタ&VWが推進していた「ダウンサイジング」に対して問題提起を行い、トヨタVWも「ライトサイジング」に舵を切って今に至る。

 

日産ノートe-POWERにも使われる1.2Lの直3は、2010年の4代目マーチ(日本市場では最終型)で採用され、2012年発売の2代目ノートにも搭載される。当時の日産は東南アジア向け「ダットサン」ブランドを設立するなど、新興国市場に力を入れていた。リーフのBEV戦略と新興国戦略が両輪ではシナジー効果が薄く「ダットサン」ブランドは終了。ダイハツ&プロドアの前に完敗を喫する。

 

 

 

いろいろ考えられている・・・

 

2代目ノートは妙に「品格」を感じるBセグ車である。日本で初めて女性の主査が担当したモデルだそうで、穿った見方をすれば「女性が乗りたいクルマ」ではなくて「旦那や彼氏に乗って欲しいクルマ」をイメージして作ったのかもしれない。上級グレードでは.2L直3エンジンにターボではなくスーパーチャージャーを採用することで、MAZDAのエンジニアが主張するように負荷領域が苦しい小排気量で低回転から過給がかかる仕組みになっていた。理論としては面白いけども、セールス的に爆発するのはe-POWERが追加された後だった。

 

2022年まで販売されていた三菱ミラージュにも1Lの直3エンジンが搭載されているが、これはメルセデスとのアライアンスの頃(暗黒時代)に開発されたものであり、日本市場の「リッターカー」戦争を意識して開発されたユニットではない。ノートe=POWERの大成功によってBセグのポテンシャル(価格帯)が広がった。ルノーのストロングハイブリッド、日産のe-POWER、三菱のPHEVとパワーユニットも揃っている。次の日産&三菱のBセグが興味深い。