20年前の2倍
ホンダの新型プレリュードの登場で、趣味性の高いクルマの市場が、少しだけ活性化するかもしれない。ドライブを趣味とするユーザー向けの、ちょうど真ん中に位置する設計に618万円という新しい基準価格が付けられた。ホンダのCセグならば、安心して高速道路も走れるし、入り組んだ隘路に踏み込むこともできる。日本のあらゆる道路を走り尽くせる上に、大満足の燃費性能と加速性能が付いてくるのだから、ど真ん中ではなく極上かもしれない。
618万円と聞くとびっくりするが、2000年代の1ドル=80円の頃に比べれば、円の価値は半分になっているとも言える。物価は軒並み2倍に上がっているけど、賃金が2倍になっているのは一流企業でも多くはない。人件費削減効果と、額面2倍で営業利益は上がっている。多少の賃金アップと株と不動産で所得倍増に成功している人にとっては、618万円のプレリュードは、20年前の309万円くらいの感覚だろう。
物価の優等生
2007年に777万円で発売されたGT-Rは、今年フィナーレを迎えたが、最終価格は1444万円で計ったように2倍に上昇している。プレリュードやGT-Rなど日本メーカーの趣味性の高いクルマは、グローバル市場がメインの商品であり、国内生産といえども、為替変動で円が暴落すれば、それに比例して国内の販売価格は跳ね上がる。ロードスターの限定モデルが700万円と噂されているが、まあ理解できる範囲だろう。
一方で、グローバル市場でも主役ではなくなっているセダンの価格上昇は難しくなっている。2005年に日本にも導入された先代レクサスISは約400万円がスタート価格だったが、現行は481万円スタートの2Lターボが11月で生産終了となり、継続するHEVは527万円スタートだ。20年経過してこれだけの上昇率ならば「物価の優等生」と言える。スカイラインも現行は456万円スタートで、「スペックや車格」を考えると割安感すらある。
アバンギャルドなホンダ
「スペックや車格」によって社会的ヒエラルキーが形成されてきた歴史があり、今でも高級車に多額のお金を使う人が少なくない。大衆車ビジネスで成功してきたメーカーが、総合自動車メーカーとして利益率の高い名門ブランドのビジネスモデルに参入する機会を伺う。ホンダの歴史は常に挑戦的で、セルシオ、ロードスター、レガシィTW、R32スカイラインGT-Rが揃って登場した「花の1989年」の翌年にはフェラーリに対して挑発的とも言えるスーパーカーの初代NSXを発売している。
ホンダ幹部が「フェラーリは博物館向け」と語ったらしいが、栃木県にアルミボデー専用工場まで作る巨大プロジェクトだったのだから、フェラーリより良いクルマも出来るのは当たり前かもしれない。フェラーリというヒエラルキーの頂点にあるブランドのユーザーとしては、生意気なホンダの存在は面白くないし、保守的な自動車ライターからもあまり好意的ではない「レビュー・マウント」がしばしば見られた。
下流都民は中古ドイツ車
新型プレリュードの618万円という価格も話題を呼んでいるようで、さまざまなメディアで書かれているが、その中には「メルセデスやBMWに手が届くからユーザーが確保できるとは思えない」・・・みたいな論調の記事もいくつか見た。それなりの車格を誇る「格上」の名門ブランドのモデルが中古車ならば価格で競合するということなのだろうけど、中古輸入車のステータスはこの10年で大暴落している。300万円も出せば、ドイツブランドのかなりの上級モデルが手に入ってお得かもしれないが、甘い話には罠がある。
故障リスクや維持費を十分に考慮できていたとしても、そもそも大して見栄は張れない。東京の「多摩」ナンバー地域では、メルセデス、BMW、アウディ、VW、MINIの高年式のものが、平日の日中でもよく目立つ。軽自動車を新車で買うお金がなさそうなお年寄りや若者が乗っている。MINIやゴルフなら50万円くらいでたくさんタマ数がある。かなり高年式のマカンやギブリのユーザーより、60系プリウスのユーザーの方がおそらく高い所得を得ていると思われる。
客層が違う
BMW8シリーズやポルシェの992型を乗り回す富裕層もわずかにいるが、60プリウスや最新式のヴォクシーやセレナが「街中ヒエラルキー」の実質的な頂点に立っている。中古でメルセデスやBMWを買う層の大部分は、おそらく所得のレベルで60プリウスユーザーの下に位置しているだろう。トヨタの新車ディーラーに行ってもルーミーやライズしか買えないが、それ以下の価格で中古ドイツ車がたくさん流通している。一方で新型プレリュードを求める層は、60プリウスでは物足りないと感じる「アッパー層」だ。
60プリウスの「Z」グレードは、FWDもAWDも乗り出しで400万円を超える。埼玉県の中古車・路面店では100万円前後のドイツ車がそこらじゅうに並んでいる。メルセデスのAMGモデルもBMWの直6モデルも手頃な価格で買えてしまう。「多摩」ナンバー地域の住宅街で、小綺麗でまともな経済力の人として見られたい (貧乏人に見られたくない) ならば、日本メーカーの最新モデルを残クレで保有するのがいいのかもしれない。
走りに課金
それほどたくさんは見かけないが、シビックe:HEVは、60プリウスよりもさらに高額な設定となっていて、街中を走るピカピカのシビックは高級車のオーラをまとっている。シビックのSUV版であるZR-Vの方が価格が安いという不可思議な設定でもある。ゆったり乗れて車格も上に見えるZR-Vだけど、街中ではシビックの方が良いクルマに見える。そのシビックからさらにキャビンをタイトにして後席はまともに使えないクーペとなったプレリュードがさらに高価というマーケティングが面白い。
ZR-Ve:HEV(363万円) < シビック e:HEV(410万円) < プレリュード(618万円) = シビックtypeR(618万円)の順で、走りの質が高まっていくというメーカーの自己分析なのだろう。車格や快適性と価格が比例することが多いトヨタ、メルセデス、BMWなどとは真逆のポリシーを発揮している。ホンダの上級モデルは、アストンマーティンやフェラーリの考え方に近いのかもしれない。
自然吸気Vテックの亡霊は消え失せた
レクサスISやスカイラインが毎年のように手が加えられ、より趣味性の高いモデルとしてあらゆるアイディアが投下され進化を遂げていたら、現在とはだいぶ違った立ち位置だっただろう。レクサスLCやR35GT-Rという上位モデルの販売確保のため、意図的に控えめなプロモーションだったという理由もある。2000万円ほどする雲上モデルが、500万円くらいのISやスカイラインに喰われる程度の商品力はブランド力なしには難しいかもしれない。
日本車もドイツ車も趣味性の高いクルマの開発では、軒並み技術的な手詰まりかんがある。レクサスISやスカイラインだけでなく、シビックtypeRやロードスターも次期モデルはかなり大幅なコンセプト変更が強いられることになる。自然吸気Vテックからターボに変わっても生き残ることができたが、シビックtypeRの開発は苦悩されたことだろう。一方でプレリュードへのメーカーの前向きなコメントは、やっと闇を抜けて2030年くらいまでのスパンで、ホンダが新たな四輪車を定義していくことになりそうだ。