「プレミアム」の定義
メルセデスやBMWなどドイツのプレミアム・ブランドは、長らくアメリカや日本で確固たる地位を築いてきた。「プレミアム」の定義は曖昧で、テレビなどではメルセデスやBMWのクルマのことを「高級車」と報じる。クルマに限った話ではなく世間一般では「プレミアム」とは「中流でも手が届く高級」くらいの意味に思う。「中流」な人々が自分は決して「下流」ではないことぉ匂わすためのアイテムだろうか。億単位の年収を得ていると公言して、税務調査も恐れない大物ユーチューバーや投資家、実業家向けには、メルセデスよりも格上の雲上ブランドが用意されている。
東京23区の中心地区となる千代田区、港区、渋谷区などの住民は、日常生活でクルマ移動の必要はほとんどなく、タワマンなどの居住区の周辺には商業施設がどんどんやってきて利便性を競う。脱クルマ社会=「ポスト・オートメーション」の洗練された時間が過ごせる。しかし23区の外縁部に位置する練馬区、世田谷区などの住民は、戦後スプロールの影響を受けた劣悪な道路事情などもあり、小型だけど「中流」なクルマを必要とする。多く見かけるのがメルセデスGLAやBMW・X2で、これらが日本一売れているのはこのエリアだと断言できる。
「中流」の実像
バブルの頃からトヨタや日産も「小さな高級車」=「プレミアム」を何台も企画していて、90年代には日産プリメーラやトヨタ・プログレなどが生まれた。当時の日本メーカーは勢いがあり、シーマやクラウンマジェスタといった「大きな高級車」も大人気でもあったが、これらの高級サルーンの主なユーザーは、真面目に勤労する中流な人々だった。トヨタや日産の主流がミニバンに移行すると、これらの中流=プレミアムなユーザーは、「中流」のプライドが保たれるメルセデスやBMWへと移っていった。
前のクルマはプリメーラやプログレだったけど、今のクルマはメルセデスCLAやBMW2シリーズグランクーペ、あるいはSUVシフトの流れに乗ってGLA、GLB、X1、X2に移行するのが東京周辺部の「中流」な人々の姿だと思う。シーマやクラウンマジェスタなど大型車を好んだ「中流」は、エルグランド、アルファード、ランクルなどの日本車か、X5やGLEへと移っていくのだろう。メルセデスやBMWにおいても10年以上前からセダン離れが顕著で、SUVシフトが急激に進んだ。格式にこだわらない「中流」相手のビジネスなので、ハイエンドブランドと比べて変化が早い。
ハイエンドとプレミアム
ハイエンドブランドのアストンマーティン、ベントレー、マセラティ、フェラーリ、ランボルギーニも一部のモデルがSUV化されてはいるが、まだまだ主流はロードカーであるという伝統を捨ててはいない(マセラティは「中流」へ転落か?)。とりあえずハイエンドはロードカー主体、プレミアムはSUV主体という高級ブランドの上下で明確な線引きがある。この分類上においては日本メーカーの中でハイエンドに該当するのは光岡自動車(富山市)くらいかもしれない。
ドイツも日本も復興後60年余りの期間、GDPは世界の上位に君臨し続け、同じ敗戦国として国民の多くが中流であるという共通点がある。そんな背景からドイツメーカーや日本メーカーはプレミアムな市場で主導権を取りやすい。ドイツや日本より格差が目立つイギリスとイタリアには、需要に応じたハイエンドブランドが存在する。日本メーカーだとトヨタと日産には1960年代から高級車という概念が存在し、プレミアムブランドとして中流が憧れるクルマづくりを半世紀にわたって行ってきたと言える。
日本車はもともとプレミアムだった
1980年代から東洋工業(MAZDA)、富士重工(スバル)、三菱自動車、ホンダも海外市場への展開を踏まえた普通乗用車主体のプレミアムブランドとしてその地位を築いていった。富士重工は1970年代からレオーネが北米市場で地位を築き、1989年にはレガシィが登場し世界にその名を轟かせた。三菱のランサーは2010年代の後半までプレミアムサイズのセダンであるランサーの販売がドイツやアメリカで続いた。ホンダのシビック、アコード、オデッセイの活躍は言うまでもない。北米市場にはレクサス、インフィニティ、アキュラなどプレミアムチャンネルが存在するので、大衆ブランドは「プレミアムではない」という人もいるだろうけど、90年代の日本車はどんどん豪華になっている。
そんな中で東洋工業は、乗用車というよりもRX7やロードスターといった専用設計スポーツカーの輸出によって世界に名前を売ってきたメーカーだ。その一方で国内市場ではトヨタ、日産に次ぐ3番手の立ち位置で、トヨタの定番モデル・カローラの地位を揺るがせたのは日産サニーではなく東洋ファミリアだったりした。80年代にはフォード陣営の一員としてアジア太平洋地域のフォード車を担当するなど、他の日本メーカーとは少し異なるバブル期を経た。
MAZDAの第五世代
さらに2000年代に入り、プレミアムブランドの時代が到来する初期のタイミングで、フォードがプレミア・オートモーティブグループ(PAG)というハイエンドとプレミアムのブランドを束ねたグループを結成したが、PAGの2代目CEOのマーク=フィールズと3代目CEOのルイス=ブースはいずれもMAZDAの社長経験者である。MAZDA自体はPAGの管轄下ではないが、この二人の社長の時代だった第五世代のMAZDAはプレミアム志向がはっきりと見て取れる。
「ZOOM-ZOOM」という今のMAZDAにも受け継がれるコピーはマーク=フィールズが作ったらしい。2002年に初代アテンザとRX-8が同時に発売される。両者とも足回りはホンダやファラーリのような本格志向で、エンジンは自然吸気の魅力にこだわって、ショートストローク直4と新世代ロータリーがそれぞれ搭載された。このショートストロークエンジンは、フォードの手によって自然吸気のまま長らくイギリスの多くのスポーツカーブランド(ケータハム、ラディカル、ジネッタなど)に供給されている。
未来を見た開発
第五世代のMAZDA車(スポーツカー除く)はアテンザ(1st・2nd)、アクセラ(1st・2nd)、デミオ(2nd・3rd)、ベリーサ、MPV(3rd)、プレマシー(2nd・3rd)、ビアンテ、CX-7などが開発された。リーマンショックなど日本の景気後退局面に重なったこともあり、販売は不調ではあったが、ラインナップの全てにおいて「他社より良いものを作る」という意識が高い。ボクシィ、セレナ、ステップワゴンが5ナンバー枠だった時代に1770mm幅で3ナンバーとして出したビアンテのサイズに大手のミドルミニバンは近づいている。
実車を見て驚くのが、MPV(3rd)やCX-7のデザインの先進性だ。グローバルサイズなファミリーカーだったため、日本市場ではヒットしたとは言えない状況だったが、MAZDAはこの2台によって新規ユーザーを獲得したという手応えを得たし、中大型車のデザインは世界でもトップクラスなのは、この時点からすでに始まっていた。2008年に発売され社会現象を巻き起こした二代目アルファードが1840mmなのに対して、MPV(3rd)は1850mm、CX-7は1870mmもあった。
MAZDAの一貫性
フォード・マスタングに使われる2.3Lターボエンジンと同じものを搭載したMPV(3rd)とCX-7は、スポーツカーやロードカーのイメージが強かったMAZDAのブランディングが見せた新境地だった。大きくて重量があるクルマを強力なエンジンで引っ張るコンセプトに、塊感がみなぎるMAZDAのトータルデザインで付加価値をつける。これこそがメルセデスやBMWがやっているプレミアムカー戦略そのものではないか?この延長線上に第六世代のCX-5、CX-8があり、第七世代のCX-60、CX-80が続いている。
第五世代で萌芽したコンセプトが、第六世代ではMAZDAの主力となった。縦置きエンジンのFRシャシーに直6エンジンしかもディーゼル、ガソリン、スカイXの3種類もある。セダンやスペシャルティクーペを作れ!!という声がカーメディアやネットのクルマ好きから噴出するのもわかる。しかしMAZDAは最初からMPV(3rd)やCX-7にときめいたユーザーこそが、第一の顧客だと考えているのだろう。さらにCX-5、CX-8で多くのユーザーを獲得した。「プレミアム」戦略の根幹にあるのは、家族のために日常のためにクルマを必要とするファンを相手にすることであり、クーペやスポーツカーは後回しなのだろう。見事な戦略だと思う。