マウンテン・ゴリラのカーライフ

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スーパースポーツか? 旧車か? が示す市場の現実 

 

東京都西部の住宅街でランボルギーニが普通に走る

東京都の真ん中辺りに住んでますけど、最近多いなーと感じているのがランボルギーニなどのスーパースポーツ。戦後最長の景気拡大とか政府は強気に言ってますけど、3000万円のクルマ買って節税するくらい儲かってしまう事業者も結構多いんですかねー。実際に日本市場とアメリカ市場を比べてもメルセデスBMWアメリカが日本の5倍ほど売れているけども、ランボルギーニフェラーリは2〜3倍程度なので、人口比を考えると日本もアメリカと同等の購買力がある。

 

 

カーライフは変化しつつある

フェラーリランボルギーニだけでなく、アストンマーティンベントレーも好調。イタリアかイギリスの高級ブランド車(2000万円以下の安物なし!!)に乗るのが、今どきのクールな人々のトレンド。なんだか日本車やドイツ車に乗るのがちょっと恥ずかしくなるかも。年収の1/3くらいを目安に買うなら日本&ドイツがもちろんいいのだけども、ちょっとアブノーマルなカーライフを生きてみたいなら年収1500万円で背伸びしてイタリア&イギリスの高級ブランド車を買ってみるのもいいかもしれない。

 

 

人生は山あり谷あり

スーパースポーツを買う人の多くは、もし稼げなくなったらすぐに処分すれば大丈夫という大らかな気持ちで構えているのだと思う。現状で余裕があるならば特にリスクがある話でもない。30年、40年ずっと身の丈のクルマ(日本&ドイツ車)で生きるのは悪くないと思っていたけども、最近はそうでもなくなってきたようだ。ちょっと辛辣なことを言ってしまえば、トヨタ/レクサス、日産、ホンダ、マツダ、スバル、三菱、メルセデスBMWVW/アウディは、長く人々のライフスタイルをクールに輝かせるだけの価値が示せなくなっている。今はまだそれほど顕著には感じないだろうけど、あと3年もすれば日本&ドイツメーカー車に乗ることがとてもダサい!!とされてしまう可能性は結構高い。すでに日本車&ドイツ車はありえねー!!って空気ができている!?

 

 

組織として死んでいる!?

日本を代表する大企業風情となった日本メーカーはどうも風通しが悪すぎる。センスの墓場とまでは言わないけども、フランス人の会長を追放した某日本メーカーの記者会見を見て、一体何を感じただろうか!?偏見に過ぎないかもしれないけど、とてもじゃないがこいつらにいいクルマが作れるとは思わない。このメーカーに関して言えばもう10年も前からこの状況が予見できていたのかもしれない。党利党略を駆使する派閥人間にしか見えない社長は果たして現場への求心力があるんだろうか。アンディ=パーマー(現アストンマーティンCEO)を呼び戻したらいいんじゃねーの!?とか余計なことを感じてしまう。

 

 

なぜ旧車が売れる!?

スーパースポーツなんてナンセンスだし、日本車もドイツ車もダサい。一体何を買えばいいのか!?そんな人々が大挙して向かう先が80年代、90年代の日本車。維持費を考えると新車よりも高く付くというハードルすら乗り越えて、希少なハコスカ、シルビア、セド/グロの人気は高い。・・・プププ、全部あのメーカーじゃないか!?

 

 

 

高いカネを払って旧車に乗る

新車よりもできるだけ安く手軽に中古車で調達したいなら、現行の初期型や先代モデルなど比較的に経年の浅いものを探して買うものだけど、わざわざ絶版モデルで部品も手に入らない世代のものを選ぶユーザーが結構たくさんいる。スーパースポーツを買う余裕はないけど、年間120万円くらいの維持費なら出せるユーザーにとって「金を払いたくなる」現実的な選択肢は旧車なんだと思う。実際に乗ってみると、MTシフトレバーに伝わる振動や、路面を舐めるように伝わるアクセル&ブレーキフィール。そして軽く浮き上がっているように感じるボデー。決して上質とは言い切れないけど、あらゆるフィールがエキサイティング。金を払う価値は十分にある。

 

原因は・・・日独の現行モデルはダサいから

なぜわざわざ高い金を払って、スーパースポーツや旧車を求める人が増えているのだろう。価値観の多様化とか抽象的で安易な結論を導く前に、なぜ現在の量販メーカーは、旧車のエキサイティングな乗り味だったり、スーパースポーツに求める非日常感だったりを、より手頃な価格のモデルで表現できないのだろうか!?本当にクルマが求められない市場で、現行メーカーがあらゆる手を尽くして最良のモデルを作っているとするならば、スーパースポーツの市場が急拡大することもないだろうし、安全基準に問題がある旧車にべらぼうなプレミア価格が付くこともないだろうに・・・。

 

 

車台共通化から全ては暗転した!?

全てのモデルとは断定しないけども、日本車&ドイツ車のある程度のステータスを伴うクルマは緩やかに「薄く」なっている。現行の日本車&ドイツ車と、それ以外のスーパースポーツあるいは旧車とは何が根本的に違うのか!?すぐに思いつくのは「車台の共通化の有無」だ。2010年代に入りホンダが中型3モデル(アコード、シビックCR-V)の共通化を断行した。それを追いかけるようにマツダもほぼ同じ共通化を行った。どちらもリーマンショックを生き残るための手段として仕方のないものだったけど。

 

 

静かに終わっていくだろう・・・

スーパースポーツや旧車の人気が高まったのはちょうどこの頃に符合する。日産がCMFを、VWがMQBを、トヨタがTNGAを使い始めたけども、この頃からカーメディアはモラルハザードの集団へと変わった気がする。おそらくクルマを作る現場にも鬱屈したものが充満していただろう。昔の方がいいクルマを作っていた!!と感じていたはず。開発者のモチベーションも含め、現行モデルと旧車では注がれた愛情がそもそも大きく違うのでは!? 腐ったカーメディアと一蓮托生のメーカーに1ミリの正義などあるはずもなく、このまま何も変わらずに、静かにゆっくりと日本車やドイツ車でステータスを示す時代は終わっていく(んじゃないだろうか)。見方を変えればすでに新しい扉が開きつつあるようだが・・・。

 

 

 

 

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