マウンテン・ゴリラのカーライフ

最高に面白いクルマのブログを作りたい!!(もちろん全編フィクションです)

カリスマ創業者を引き寄せる・・・スピリット!?

とりあえずホンダ

  1950年代、1960年代に四輪車を作りはじめた日本メーカーは多い。スズキ、マツダ、スバル、三菱そして最後発で出て来たのがホンダ。本田宗一郎は戦争に協力したくないという意思を示し、戦前からの商売を放棄。終戦を待って新たにホンダを創業し、四輪車の開発を宣言したのは1962年。1970年代にCVCCエンジンで世界トップレベルの技術力を示し、1980年代には欧州COTY入賞、アメリカ現地生産開始など、矢継ぎ早にビジネスを拡大。1990年にNSXを発売し、スーパーカー・メーカーとしても注目を浴びる。

 

鬼気迫る経営

  1981年にロナルド・レーガンが大統領に就任するや、日本の対米輸出に干渉してくる。ホンダは二輪工場を足がかりに、トヨタや日産よりも早い動きでアメリカでの現地生産に踏み切ることができた。その一方で欧州戦略はローバーとの合弁の道を採った。経営再建を目指し英国の自動車メーカーを糾合したローバーに、ホンダ車のOEMを次々に導入する。

 

ホンダとローバー

  なぜホンダは『ローバー』を選んだのか!? ホンダはこのローバーの一件以外ではグローバルの独立系メーカーと製品を共通化するほど大掛かりな提携をすることはなく、「栄誉ある孤立」の道を今も歩んでいる。最も中国市場は合弁が前提だった時代がありやむなく提携しているが・・・。フェラーリにも負けない高回転エンジンを武器に世界を震撼させた武闘派集団ホンダにとって、対等に手を携える相手などそうそういないはずなのに・・・。

 

 奇跡の「ミウラ」

  そんなホンダよりも短期間のうちに「名声」を欲しいままにしたのが、イタリアのスーパーカーブランド・ランボルギーニ。1965年にのちにP400ミウラになるシャシーが公開される、このシャシーベルトーネのデザインしたボディが被せられたクルマが『スーパーカー』を最初に定義したとされています。ミッドシップに12気筒エンジン。フェラーリの関係者にとっては衝撃であり悪夢・・・。フェラーリと密な関係にあったカロッツェリアを主宰していたセルジオピニンファリーナは負け惜しみを言ったらしい。「同様の提案をしていたが、安全性の観点からフェラーリの同意が得られなかった」と。

 

 自由な走りを表現するデザイン

  ミウラのシャシーを設計したジャン・パオロ・ダラーラによると、フェラーリのタブーを超えたこのクルマのアイディアは、鋼管フレームボデーにBMCミニのエンジン(BMWミニではない)を付けた「カート的」なものだったらしい。実際にミニのエンジンを調達して市販する企画だったらしい。しかし経営者のフェルッチオが、ランボルギーニのフルメイクで進めるべきだと主張したらしい。

 

 ランボルギーニとホンダ・・・

  ランボルギーニスーパーカーを作らせるきっかけとなった「ミニ」は、欧州全域に轟く「レース」「カルチャー」「フリーダム」のミクスチャーをまとった一大ムーブメントだったのだと思う。そしてそれは右肩上がり過ぎて、宗一郎氏のコメントからも不遜でしかない態度が伺える、あのホンダにも一目置かせる何かがあったのでは!?

 

 

今のミニが間違っているとは言わないけど・・・

NSXあるいはウラカンアヴェンタドールへと行き着いてしまったホンダとランボルギーニですが、再びMINIにインスパイアされることがあるのだろうか。BMWのエンジンが乗っているMINIは、日本でもアメリカでもそこそこ人気があるのですが、どんどん乗用車っぽくなっている。販売の主体はクロスオーバーやワゴン(クラブマン)に移っているようで・・・。まあそれもいいのかな。

 

新陳代謝

どっかのメーカーがBMCミニの亡霊を引き取ってもいいんじゃないの!?アレック=イシゴニスとジョン=クーパーの情熱は1959年にミニ・クーパーとして結実しましたが、現代にもまだまだ有効じゃないかと。21世紀になってもなお、カーガイの名前を冠したブランドが生まれてきてもいいと思う。ホンダ、ランボルギーニ、ミニ・クーパー・・・。

 

 

 

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