マウンテン・ゴリラのカーライフ

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レクサスLS問題に世界も紛糾!?

 

 日本車で唯一の・・・

母の日が近くなると、ふとレクサスLSを購入してみようかな!?という出来心が起こる。昔やんちゃしていて、俺は都会で一旗挙げる!!と実家を飛び出していき、高卒の20歳台でも頑張れば1500万円くらい稼げる、ホスト!!ではなく、不動産か保険のフルコミッション営業マンなどからキャリアをスタートし、紆余曲折をへて立派になった姿を母親に見せるための「最良のクルマ」がレクサスLSだな・・・って思ってます。

 

クルマが持つ意味

デンゼル=ワシントンが好きで、『アメリカン・ギャングスター』のあの有名な絵に描いたような『親孝行シーン』に憧れるガチ・マザコンの審美眼で判断するに、日本車であのシーンが再現できるのはレクサスLSしかない!! パッカードやスチュードベーカーのような風格あるアメリカ車はとっくに絶滅しましたが、日本にはまだまだLSがある!!

 

レビュワーはフィルターに過ぎない

ドイツ車と比べて乗り味が「どーのこーの」で新型LSをボロクソに叩く、品のないオッサンライターが多くて辟易すると前々回の投稿で書きましたが、その後ふとトップギアでジェイソン=バーロウの『LS』レビューを読んだ時に、『これだー!!』と思いました。文化を解釈する能力こそが、クルマに限らずあらゆる評論家に要求されるスペック・・・要するに『貧困』なライターはどんなクルマにも『貧困』なイメージしか持てない。

 

トップギアジャパンが売れる理由

日本のライターとイギリスのライターの違いと言ってしまうと語弊があるけどさ。ジェイソン=バーロウと福野礼一郎にはどれだけの差があるのか!?両者の新型レクサスLSのレビューを読めば、まあハッキリわかりますよ。福野に習って『点数化』するならば、バーロウが100としたら、福野は98くらい。ほぼ変わらない。けどバーロウが100としたら西川淳は55くらいじゃない!?(一般人・高平は20、クソジジイ・斎藤は5) 実際それくらいの格差はある。

 

5000の部品で構築されるグリル

バーロウは『LS』をなんと書いているか!?『Sクラスなどのライバルと比べ遠く及ばない部分がある。CVTはやっぱりクソ』とまあこんな感じです。だけど彼はうまく取り繕ってます。『これは日本だから作ることができる工芸品』だってさ。なぜ日本人の自分が、海外のカーメディアから『日本車の文化度の高さ』を教えられなきゃならんのか!?

 

LS、Sクラス、7シリーズの仕切り

グリルとインテリアの作り込み具合は、量販車(日本COTYにノミネートできるくらいの生産数)のレベルではない。確かに言われて見たらそーだな。レクサスがファーストクラス、メルセデスビジネスクラスBMWグリーン車くらいの格差がある。マザコンの価値観で恐縮だけど、デンゼル=ワシントンに似合うのがLS、トム=ハンクスに似合うのがSクラス、ヒュー=グラントに似合うのが7シリーズ。「家族」「ビジネス」「恋人」それぞれ何を大事にするべき人生のステージなのかで選ぶべき!?

 

 

心理学の極限を生きる性別・男

・・・とある年配の女性に言われた。男は『底』を見せたら終わりだって。女性のマインドは繊細で、完璧なものしか受け入れられないらしい。一度の悲劇(男の軽い失言)がものすごいトラウマになってしまう厄介な生き物らしい。だからクズなことしかできない男は、商売の女性以外には近づいてはいけないってさ。それ男も同じだからな!!って言いたい気持ちをグッと抑え、なるほど・・・って顔で聞いていた。

 

オンナの言いぶんには悔しいが一面の真理がある

かなり終末的な宣告だけども、オッサンになっても孤独に打ちひしがれることなく、周囲の視界から消えることなく、幸せな人生を歩み続けたいのなら、デンゼル=ワシントンの作品を繰り返し見るといい。ストイックでクールなキャラクターに、現実世界で成りきることでしか生きるすべがないと早く悟るべきだ。おすすめは『マイボディーガード』『トレーニングディ』『フィラデルフィア』。決して『底』をみせない男であり続ける。そんなキャラにこそレクサスLSは合っているように思う。ストイックなクルマという意味で。そんなのくだらねー・・・と思うなら、7シリーズかSUVにでも乗ればいい。

 

レクサスの新しい定義はこうだ・・・

蛇足かもしれないけど、レクサスLSはどっかのブランドのクルマと比較するものじゃない。本物の男が魂を宿す時に乗るクルマ(とでも言っておこう)。安っぽい損得感情ではなく、自己実現の世界でアイデンティティを高度に構築できるクルマだと思う(俺の今のレベルでは)。美術品や工芸品に惹かれる気持ちってのは多かれ少なかれそんな要素が含まれている「アート」なモノを指す。前の世代が盲目的に畏怖した『舶来ブランドマーク』は、グラマトロジーの低層に淀む沈殿物に成り果てた・・・レクサスはそこから抜け出そうと新しい試みをしている(とでも言っておこう)。

 

 

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